ravideの食育=食表現『食表現とは①』
「食べたくなったら食べればいいよ」
これが、ravideの食育=食表現の合言葉です。
「食を楽しみ、人生を楽しみ続けられる人を育むこと」、それは「嫌いをなくすこと」ではなく「好きを増やすこと」だと考えています。
大人に言われて仕方なく、デザートやおかわりをもらうために、お茶で流し込んだ一口…そんな経験から、ある食材を好きになることは決してありません。大きくなって、自分で食事内容を選び取れるようになった時、嫌々ながら食べさせられていた食材を自ら選び取ることはないでしょう。教育、保育の中で「主体性」という言葉が謳われるようになって久しいですが、こと「食」に関しては、「好き嫌いなくなんでも食べられることが良いこと」という固定観念を拭いきれない大人が多いように感じます。
例えば、本来、勉強は楽しいものであるはずなのに、宿題やらテストやらで「やらされごと」になることで、子どもたちが次第に勉強嫌いになっていくように。本来、それぞれの食材は魅力的な美味しさを持っているはずなのに、大人によって「食べなければいけないもの」にされることで逆に嫌いな食材にしてしまっていないでしょうか。大人があれこれを子どもへ「せねばならぬこと」として課すほどに、子どもたちは嫌いなものごとを増やしていくのではないでしょうか。「食」についても自ら選び取る「主体性」を尊重することが大切なのです。
そうとはいえ、子どもが好きなものだけを好きなだけ食べれば良いとは考えていません。お菓子やソフトドリンク、ファストフードばかりでは体を害してしまいます。それでは人生を楽しみ続けることはできません。

そこで、ravideは『食育=食表現』という概念を提案します!
①食べずにはいられない、食欲をそそる「中動態」的提案
「中動態」について、詳しい話や、学術的なところは専門書や論文、私たちも研修を受けさせていただいたり著書を参考にしております、東京大学名誉教授 佐伯胖先生の対談記事に譲ります。ravideの解釈で平易な言葉で表すと「能動態『する』と、受動態『される』の間の『表れる』こと」。「食べる」でも「食べさせられる」でもない「気づいたら食べていた」ということ。
つまり「思わず食べていた」ということ。
「食べずにはいられない、食欲をそそる」「気づいたら、思わず食べていた」そんな体験をデザインし提案するのがravideの食育です。
そして、そんな「ひとくち」も含めた子どもの表す全てを、私たちは「表現」として大切にします。また、「食べる」ということは、無数にある子どもの表現の一つに過ぎないとも考えています。
ある食材と対峙した時に、子どもたちが少しずつ距離を縮めていく姿、触れてみて観察すること。調理の過程に親しみ、自分なりの切り方や盛り付け方、食材と調味料の組み合せを生み出すこと。それぞれの過程で、友だちや大人と表情や言葉、感じたことや思考したことを伝え合うこと。「食べたくなったら食べればいいよ」という前提の中で、それら、一つ一つの表現が時間的、人的な関係性の中で最大限尊重され、十分に果たされた先に、「思わずひとくち」が表れるのです。
そんな思いから、私たちは自分たちの提案を、単なるクッキングや食に関する知識伝達の食育とは異なる概念として「食表現」と呼んでいます。
ravideの食育=食表現では、子どもたちと対話的に進めること、子ども同士の対話の機会をつくること、子どもたちがモノ(食材・調味料・調理器具など)やコト(食材の栽培方法、加工過程、保育園へ届くまでの道のり、生産者さんのことなど)と対話する「間」を十分に持つことを大切に、子どもたち一人一人の興味関心の動き、「表現」を大切にしています。
「興味関心によって自ら(思わず)ひとくち」その経験の積み重ねが「好き」を増やしていきます。
今だけravideの食育=食表現を1回、無料で試すことができます!実践園の見学も随時受け付けています!ぜひお気軽にお問い合わせください。気軽にお問い合わせください。