ravideの食育=食表現『提案はシンプルに「何をやるか」よるも「どのようにやるか」』
前回『食表現=食を遊ぶ:脱「食育=栄養士が行う授業・単発イベント」』こちらからご覧ください。
ブログを通して、ravideの提案する食育、「食表現」について一歩ずつ深掘りしております。前回は「食を遊ぶ」ということで「主体・創造・探究・協働」を遊びの要素として提案しました。今回は遊びをどのようにデザインしていくのかについて触れてみようと思います。
○本来、「食へ関心の無い子どもはいない」
「食べることは生きること」とはよく耳にする謳い文句ですが、それは揺るがない真理だと思います。人は食べることでしか生きられません。そうであればこそ、特に生理的欲求へ素直で、「自然な状態に近い存在」である子どもたちは、すでに食への興味関心を持っているのです。
そうであるはずなのに、もちろん必要な配慮はあるのですが、汚れ・衛生・安全という大人の都合によって、子どもが「自ら食へ親しむ機会が保障されていないこと」が現代の乳幼児を取り巻く環境であり、課題です。
「子どもたちが主体的に食への興味関心を広げ深めていく機会の提案」それが食育=食表現の本質だと考えています。

○だからこそ、提案は「シンプルでいい。シンプルがいい」
「食へ関心の無い子どもはいない」という前提に立ち、食育=食表現を「子どもたちが主体的に食への興味関心を広げ深めていく機会の提案」であるという本質を捉えることができたら、自然と提案はシンプルになります。なぜなら一見すると見栄えや聞きざわりの良い、難しいこと、複雑なことをしようとする分だけ「子どもの自由」は狭まり、大人がやることが増えるからです。料理を作るようなクッキング活動は、年長の最後の最後でいい。それまでは、一つ一つの食材や調理技法、調理道具へじっっくりと、子どものペースで親しめる環境をデザインしましょう。余計な上っ面の知識伝達も乳幼児期の子どもたちへは必要ありません。食へ興味のない子どもはいないのだから、余計な人の手を加えず、大人の意図性を子どもに課すようなことはせず、「食の魅力を子どもが自由に親しめる環境で提案すること」を考え抜くことです。シンプルな提案の中でこそ、子どもたちは自由にものごとへ親しみ、興味を広げ、関心を深めていきます。
○「食べること」を求めない
具体的な内容に入る前に、もう一つ重要な思考に触れておきます。それは「食べることを求めない」ということです。これが食育をはじめるに当たってとても重要なことです。食べるかどうかは子ども自身で決めること、食べなくてもそれ以外の取り組みへ自由に参加して良いこと、その心理的安全性をそこにいる人、全員でつりましょう。そもそも、食へ興味のない子どもはいないのですから、十分に親しんだ先に安心感を得られれば、内側から自然と食べてみようという「食欲」は湧いてくるものなのです。詳細は過去の記事をご覧ください。ravideの食育=食表現『食べずにはいられない、食欲をそそる「中動態」的提案』
○食材は「食べ物」である以前に「自然物」
ここまでは「前提」の話をしてきました。その前提を持った上で、大人が当たり前に「食べ物」だと思っているものは、子どもたちにとっては「はじめて出会うもの」であり、「食べられるもの」と認識する以前に「自然物」の一つとして認識していることを、大人たちが理解することから、食育をはじめましょう。
子どもたちの前に「食材」を置く。自由に手に取り、匂いを嗅ぎ、ちぎり、観察し、並べ、比べ、見立て、抱きしめ、愛でる…そういう時間を十分にとること。子どもたちは食べ物ではなく、自然物として、目の前のものと関わり、対話し、親しむ。大人がそんな観点を持てた時、食材と交わる子どもの「表現」がまったく違う姿として見えてくる。そして、大人も一緒になって十分に観察してみる。今まで当たり前に口にしいた食材の知らなかった一面に気づく…その時「もったいない」という言葉はいったん横に置きましょう。あとで調理して大人が食べれば良いのです。時間を十分にとるということは「子どもが飽きるまでやり尽くす時間と機会を設ける」ということです。もちろん生活の中で時間の限りはあるものです。大切なのは大人が「できる限りを尽くす」ということです。
○「やり尽くす間を持ち、興味の間をつなぐ」提案力
大人ができる限りの環境を整え、子どもがやり尽くせるように配慮する思考を持ち「飽きるまでやり尽くす」ことを尊重した上で、子どもたちが飽きて、どこか違う遊びへ行ってしまっては元も子もありません。そこで大切なのが「間をつなぐ」提案です。子ども集団の中で1、2割が飽きはじめたら次の提案をはじめます。提案全体の中でそうした繋ぎ目、興味を誘い続ける工夫をデザインするのです。しかも、それが自然物から、食材へと認識が変化し、興味をさらに誘い、食欲をそそられずにはいられないような。こうした提案は、大人が子ども全員を一斉、一律に同じものごとへ興味を持たせようと思っていては成立しません。提案は子ども集団へ向けて、行なっているのだけれども、子どもたち一人一人は自分の興味ごとへ向かっている。その興味は少しずつ移り変わり、深まっていき、最後は気づいたらみんなが食べている。乳児へ向けた提案では特にそんなイメージで活動が進んでいきます。そんな「間をつなぐ」のが「調理過程」です。
○調理過程は「自然科学」
食材と同様に、調理過程も子どもたちにとっては「当たり前」ということは一つもありません。収穫、洗う、切る、剥く、焼く、茹でる、煮る、揚げる、蒸す…その一つ一つが「自然科学」へ興味を持つ「きっかけ」になるものごとです。大人がそれを当たり前のこととしてやり過ごしてしまえば子どもたちも同様に見過ごしていきます。なぜならどんな環境要因よりも人的環境が一番影響力を持つからです。どんなに魅力的な環境や提案があっても、そこにいる人がよい影響を持たなければそのものごとの魅力は薄れてしまいます。食材を収穫する機会があった時、「収穫すること」だけを目的にするのではなく、どんな風に実っているものを、どのように収穫するのかを提案する。収穫したものを洗う時、「泥を落とすこと」だけを目的にするのではなく、どうやったらきれいになるかを子どもたち自身で考える、水が泥水になっていくことへ興味を持つ、収穫物の個体差について触れてみる、泥だらけになった手は泡で洗うと何できれいになるんだろうと問いを持つ。皮を剥き、切り分ける。皮って何?切り方によって、火にかけた時の柔らかくなるまでの時間は変わるかな?味わいに違いは出るかな?ガスコンロの火、IHの熱、かまどの火、炭火…食材を熱する色んな方法の不思議。こうした一つ一つを取り上げて、子どもたちと親しみ、「体験を味わい尽くす」ことで、シンプルな提案の中に「広がり」や「深まり」を生み出すことができます。
○問いかけ続け、共に思考し、体験に言葉を添えること
上記で記したように、魅力的な食材と調理過程を通して、より広がりや深まりのある営みを生むには「問い」が大切です。子どもたちが感じていること、言語化できていない思考の巡りに言葉を添えて、次の思考を誘うのが「問いかけ」です。基本は「どうかな?」「どう思う?」「この後どうしようか?」を問い続けることです。その時、「知識伝達」的に、答え合わせや正解さがしに陥らず、「自由な思考の巡り」を楽しみましょう。乳幼児期の子どもたちにとっては、知識を身につけること以上に「自分で思考すること」にこそ価値があります。大人は何かを教える役ではなく、「共に思考する役」を持っているのです。それは、「子どもを観る」こと以上に、子ども側に立って、「子どもからものごとを観ること」なのです。そして、教科書的に、机上の空論でものごとを伝えるのではなく、子どもたちの実体験に言葉を添えることで子どもたちは生きた言葉、血の通った知識を獲得していきます。タコを扱った食育では、茹でる前後での変化から本当の「タコの色」や、図鑑や絵本を通して知っていた「タコの足は8本」をみんなで数えて確かめました。

そんな食育もやったことを言語化すれば、「タコの観察→茹でる前後での観察→数を数えたり体の部位を確かめながら切り分ける→共食する」という「茹でる・切る」だけのシンプルな提案なのです。そんな提案の中でも、子どもたちは五感を働かせて観察し、さまざまに思考を巡らせ、言葉や表情、身振りで表現し合い、たくさんの気づきを得ています。「何をするかより、どのようにするか」とは、そういうことです。
たぶん、どういうこと?という人がまだまだほとんどだと思います。記事を書くほどに、ravideの提案は文章では伝わらないなーという思いが強まっています。諦めずに記事を書き続けますが、体験からしか伝わらないことだらけです。
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